【2015.09.11】私たちは、安全保障関連法案に反対し、その廃案を求めます


 

■安全保障関連法案は、内容も手続きも憲法違反

 

日本国と日本国憲法は、約70年にわたって平和主義を謳ってきました
安倍政権の掲げる安全保障関連法案は、日本という国を、
「戦争をしない国」から「戦争のできる国」に変えようとするものです。
つまりこの法案は、現在の憲法に違反しています。

「TPP反対」「脱原発」など、嘘の公約を掲げて選挙に勝った自民党政権は、

「解釈改憲」という不当な手段を使って、
日本国民(people)をずるずると「戦争のできる国」に引きずり込もうとしています。
法案の内容だけでなく、こうした政府のやり方も、憲法違反です。

 

政府による憲法違反は、民主主義、立憲主義の根幹を揺るがす大問題です。
憲法をないがしろにすることは、国民をないがしろにすることです。
このような政府に正当性はありません。

 


■「戦争のできる国」という選択は愚策である

 

あるいは、日本も戦争ができるように、憲法を変えるべきでしょうか?
現代の戦争では、ミサイルが数発落ちただけで、日本の国土は荒廃するでしょう。
どんなに立派な軍備をしたところで、軍備では国民と国土を守ることはできません。
他国とのあいだに信頼と共生の関係をつくり出さなければ、平和は維持できません。
過去の戦争責任を認めなかったり、隣国を悪しざまに言ったり、仮想敵と見なしたり、
そうした外交姿勢の政府では、平和から遠ざかるだけでしょう。

さらに今回の法案で、今まで「私たちは、戦争には絶対に関わりません」と言っていたのが、
これからは「(アメリカの同盟国として)関わります」と言うことになります。
アメリカに加担します、と内外に宣言することで、海外からどのように見られ、
何が起きるか、答えは明白ではないでしょうか?
私たちの生命と財産は、安全になるどころか、危険にさらされるでしょう。


国際関係のなかで、相互不信を前提として軍事的解決の戦略をとることは、
誰のためにもならない、愚かな選択なのです。

「日本の生きる道は、軍備よりも何よりも、正義の本道を辿って、天下の公論に訴える、
これ以外にはない」と、敗戦後すぐの首相、幣原喜重郎は言いました。
「人類の敵は、戦争それ自体である」とも、彼は言っています。
「国益」などより、もっと大局的に、「人類益」を考えるべきときだ――。
日本国憲法第9条は、こうした発想から生まれました。

9条の精神は、本当は、守るだけではいけません。
全世界にも広め、共有してもらわなければ、真の世界平和は訪れません。
その理想に向かって一定の役割を果たすことこそが、
国際社会における日本の使命であり、誇りでもあるのではないでしょうか。

 


■腐敗を防ぎ、汚れを清めよう

 

平和や自由は、この世界に暮らすすべての人の、生活の前提です。
それが保たれているあいだは、水や空気のように、ありがたみを感じにくいものです。
しかし、それが失われてしまうおそれには、敏感でなくてはなりません。
私たち自身が、それを維持するための不断の努力をしなければなりません。

もし、おかしいことを「おかしい」と言う人がいなかったら、どうなるでしょうか?
間違いを正す人がいないという状況は、とても危険です。

社会全体が、間違った方向に流されてしまいます。

学問と思想、信教の自由が踏みにじられた戦時中、青山学院はキリスト教学校として、
歴史の試練にさらされました。

そのような過去を繰り返してはなりません。

 

青山学院のスクール・モットーは、「地の塩、世の光」(マタイ5:13–16)です。
「地の塩」とは、「腐敗を防ぎ、汚れを清めていく」という意味です。

ですから私たちは、このおかしな状況に、今はっきりと「おかしい」と声をあげます。
この国を『戦争のできる国』に変えるのは、おかしい。
民主主義を、立憲主義を疎かにする政府のあり方も、おかしい。
私たちは、このおかしな安全保障関連法案に反対し、廃案にすることを強く求めます。


2015年9月11日 平和と自由のための青山学院大学有志の会